皆さん毎日どのようにお過ごしでしょうか。
新型コロナウイルスの感染拡大で世界中が大変な事になりましたが
私も55年間生きてきてこのような経験は初めてです。
約100年前にスペイン風邪が流行しその100年後に新型コロナウイルス
が世界を恐怖に陥れることになり、歴史とはなんと残酷なのかと感じてしまいます。
現在世界中の経済が疲弊し、上場企業であってもこの状況が続けば半年後には
25%の会社の手元資金が枯渇してしまうらしく、中小零細企業や個人事業主
に至っては今日明日の資金繰りさえままならない状況が続いています。
同時に人々の心の疲弊も著しく、学校へ行けない子供やテレワークで人と接する
ことなく自宅という限られた空間で誰とも話さず仕事を続ける社会人。
一日も早くこのウイルスが終息してもとの社会環境に戻って欲しいと誰もが願う
のですが、誤解を恐れずに言えば最近ふと思うのは、このコロナ禍は我々人間に
対して何かメッセージを秘めているのではないのかと考えるようになりました。
歴史上ウイルスが世界の構図を塗り替えてきたという話を聞いたことがありますが
今回のコロナ禍が終息したあとに待っているのはどんな時代なのでしょうか。
なにか世界中が目に見えない大きな力によってガラッと変えられていくような不安
がよぎります。
これまで当たり前に行ってきた生活習慣や働き方、物事のとらえ方などが、これま
で一部のマイノリティとされていたスタイルに変わっていくような気がしてなりません。
たとえば「9月入学」や「テレワーク」にしてもそうです。
これらはいつの時代にも肯定的にはとらえられてきましたが、実現に向けて公的な
圧力が高まったり、習慣の中心にしようとする大きな流れにはならなかったりマイ
ノリティなスタイルとして認識されていたのではないかと思います。
誰にとっても死活問題でもあるこの状況下ですが、逆に今この「停止」を余儀なく
されている時に、我々は何をすべきかをじっくりと考える「時間」を与えられている
のもまた事実です。
この時間を「人生最悪の時間」ととらえるか、神様から与えられた100年に一度の
ビッグチャンスに乗るための「考えた方の整理時間」ととらえるのか、この時期に一度
想いを巡らせてみることも大切ではないかと思います。
物事に偶然はないと考えれば、このような時代に就労世代として生きている我々は
なおさらで、いつの世もパラダイムシフトというのはこういった大禍の中で起こり
始めるのだと感じさせれらます。
この先一体どんな時代になっていくのか確かなことは誰にも分りませんが、なんと
なく感じるのは、今までにないくらい人間関係が希薄になっていくような気がします。
今回のコロナ禍を経験した人類はテレワークの有益性を共通の認識として、組織はこ
ぞってテレワークの環境に投資をし、学校では全国津々浦々まで通信による学習環
境が整備されていくことでしょう。
生活においても人と接することが自分にとってのリスクという感覚が芽生え始め
る可能性も有り、物の消費はますますインターネットを媒介とし、支払い手段も
ほぼ電子決済が主流となっていく。
もし本当にこのような環境になったなら、たとえば飲食業界はどのようにこの
状況に適応していけばいいのでしょうか。
これまでの店舗型のサービスの提供が無くなるわけではないはずなので、一から
すべて変えるという必要は当然無いのですが、ひとつキーワードとして思い浮かぶ
のは「個の空間」です。
これまで食事の空間を店舗で作りサービスを行っていたものを、同時に消費者が作る
空間において提供するという「訪問型」の飲食サービスというものを更に多角的な
視点で考える余地が出てきそうな気がするのです。
人間にとって無くてはならない「食べること」はどんな時代であろうとも絶やせな
いものです。
我々を魅了する美味しさを味わう行為は常に誰かに求めるサービスだとも思います。
いつもでも求められ続けられる「食」の素晴らしさをこれまで以上に身近に体験でき
る時代になればますますサービスへの需要も高まるのではないでしょうか。
その中で新しい形の人と人の繋がりが見え始めるのではないかと思いを募らせる毎日です。
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